VOL.24 ある女性ジャーナリストの死
2006年11月更新
発見された射殺体
アンナ・ポリトコフスカヤさんが、10月7日モスクワにある自宅アパートのエレベーターの中で射殺体で発見された。まだ48歳の若さ。現場には拳銃と4発の薬莢が残されていた。最も死んではならなかった勇気あるジャーナリストの1人だった。凄惨な死に胸が痛む。事件から3週間経ってもモスクワでは現場に花が供えられ、人権活動家たちの抗議の声にプーチン大統領も事件の解明を約束した。ヨーロッパのメディアは今も事件のその後を伝え続けている。
「当局の人間」に狙われていた
彼女の存在を知ったのは2年前の新聞記事からだった。「ロシア学校占拠事件」が起きたときのことだ。彼女は事件現場である北オセチア共和国に飛ぼうと、モスクワの国内線専用空港に到着した。しかし現場に近いウラジカフカスへの便はすべてストップ。かなり離れた別の都市へ飛ぶ航空券を手にした彼女を「当局の人間」が拘束した。別室に連れて行かれ他の乗客とは別のバスで機内へ。その後彼女は飛行中に出されたお茶を飲み意識を失った。目を覚ましたら病院の中にいた。反政府的な人間が空港の中で自由に振る舞えるはずが無い。彼女に事件現場を見せたくない「当局の人間」が、毒物で彼女の現場入りを阻止しようとした、と見るのが妥当だ。

ロシア学校占拠事件
「ロシア学校占拠事件」はチェチェン紛争がらみの事件だった。チェチェンの過激派がベスランという町の裕福な子供達が通う 小中学校を占拠し、こどもたちと教師を人質に立てこもった。要求はロシア軍のチェチェンからの撤退だった。犯人グループの中には「黒い未亡人」と呼ばれる黒衣の婦人たちもいた。モスクワの劇場占拠事件でも有名になった、チェチェンの女性たちだ。ポリトコフスカヤさんが現地に入ろうとした頃、現場では特殊部隊が突入の機をうかがっていた。劇場占拠事件で多く犠牲を出し批判を浴びたロシアの治安当局が、事件への対応や作戦の不備を「突いてもらいたくなかった」「見られたくなかった」ということだろうか。結局事件は、偶発的な手榴弾の爆発をきっかけに銃撃戦が始まり、300人以上の犠牲を出した。
チェチェン紛争
アンナ・ポリトコフスカヤさんには「やめられない戦争」というチェチェン紛争の実相を描いた著書がある。「なぜチェチェン紛争は終わらないのか」という素朴な疑問を徹底した現地取材で描き出した。ロシア当局にとっては「言われたくないこと」が多かったと思う。チェチェン紛争の悲惨な特徴のひとつは、前にも触れた「黒い未亡人」の存在だ。多くの母親や未亡人が「特攻隊」に参加して躊躇無く自爆して行く。そこには底知れぬ絶望感がある。夫や息子をロシア軍に殺された女たちの恨みの戦いがある。最初のきっかけは石油パイプラインをめぐるチェチェン過激派の独立宣言にあった。しかし鎮圧のためのロシア軍侵攻で、かなりの残虐行為があったと言われている。それはロシア政府、軍、秘密警察などの「当局」が一番触れて欲しくない部分だ。そしてポリトコフスカヤさんの仕事はそれを伝えることだった。

彼女の白い髪
彼女の死を悼む以外に我々に出来ることはあまりにも少ない。でもチェチェン紛争に日頃から関心を持つことは出来る。カニ漁で殺された漁師の悲劇とチェチェンの悲劇を重ね合わせることも出来るはずだ。一人一人の小さな思いの積み重ねが、やがて国際社会を動かして、ロシア政府に自制と平和的解決への努力をうながすこともできるはずだ。事件の後、ポリトコフスカヤさんの最近の写真がニュースで紹介された。 その髪はここ数年ですっかり白髪になっていた。48歳の女性にしては白すぎるその髪の色が、彼女の抱えていたテーマの重さを表している気がしてならなかった。
28. Oct. 2006 山本大輔
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