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ウィーン発ボウ

VOL.25 オペラ座で話題の人と作品

2007年4月更新

アンナ・ネトレプコ

アンナ・ネトレプコの「マノン」(3月)

2007年最初の更新はウィーンからオペラの話題を送りたい。まずこの春の一番の話題から。最大の話題となった作品はウィーン国立歌劇場の「マノン」だ。歌劇「マノン」は、フランスの貴族アベ・プレヴォーの自伝的小説「マノン・レスコー」を原作に、フランスの作曲家ジュール・マスネが作曲したオペラ。同じ原作を元にプッチーニが「マノン・レスコー」を作曲しているが、プッチーニはマスネの「マノン」の成功を知って、対抗意識を燃やしたらしい。映画ではカトリーヌ・ドヌーブが主演した。一言で言えば「男を破滅させる女の物語」だが、一方で「自分の欲望と感性に正直に生きた女性」という見方もできる。ストーリーを簡単に紹介しよう。


アンナ・ネトレプコ

美少女マノンはその奔放な性格を直すため兄に連れられて修道院へ向かう。道中、騎士デ・グリューと出会い、互いに惹かれ合って駆け落ちしパリで暮らすようになる。しかし2人の貧しくとも愛に満ちた生活は長くは続かない。マノンはぜいたくな生活という誘惑に負け金持ちの男へ走り、デ・グリューは父親が差し向けた追っ手に捕らえられ修道僧にさせられる。ある日マノンはふとしたことからデ・グリューのいる修道院を見つけ会いに行く。よりを戻したいというマノンの誘惑に負け、デ・グリューは修道院を脱走。だがぜいたくなマノンのためにデ・グリューは母の遺産を使い果たしやがてバクチに走るようになる。最後には2人とも警察に逮捕され、デ・グリューは父親に助けられるがマノンはアメリカへ流刑と決まる。囚人を乗せた船が出向する前にデ・グリューはマノンと再会する。しかしマノンは既に衰弱し、愛する男に抱かれながら息絶える。


アンナ・ネトレプコ

主役のマノンには絶大な人気を誇るソプラノ歌手アンナ・ネトレプコが起用された。逆にネトレプコが新演出のオペラでウィーン国立歌劇場にデビューするためにこの作品が選ばれた、とも言える。結果は、美しく奔放な女性というイメージをネトレプコ本人とダブらせてウィーンで大きな話題を呼ぶことに成功した。ネトレプコはロシア出身。指揮者ゲルギエフに見いだされ、ザルツブルク音楽祭で世界デビューを果たした後、ドイツ・グラモフォンの徹底した売り出し戦略で現在の地位を手にしている。顔立ちが派手で舞台によく映える。歌声は柔らかく癒し系の声質で聴いていて耳が痛くなるようなことは無い。公演が終わった後はオペラ座の楽屋口で待っているファンために気軽にサインや握手に応じている。その後は共演者たちと一杯飲みに行く。ソプラノ歌手の中には「のどを大切に」という理由で付き合いを断る人もいるそうだが、彼女は付き合いのいいことで有名だ。2年前にはザルツブルクでインタビューに応じてもらったことがある。リハーサル帰りということもあってか、すっぴんでとても和やかな印象だった。いまは大スターの貫禄が付いて来たが、持ち前の気さくな性格が彼女の人気につながっているようだ。


ジョセフ・カレー

期待のテノール ジョセフ・カレーヤ(2月)

もうひとりこの春注目されたのが、テノールの新星とも言われるジョセフ・カレーヤだ。地中海に浮かぶマルタ共和国出身のカレーヤは「蜂蜜のような声」というもっぱらの評判だ。日本ではまだあまり知られていないが、最近ウィーンを中心とするヨーロッパのオペラ界では「ちょっとは知られた」存在となった。今年の2月にウィーンで話題となった作品は、ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」とプッチーニ作曲「ラ・ボエーム」の二つだ。「事件」はカレーヤが「愛の妙薬」に出演するためウィーンに滞在中に起きた。そのあらましを紹介しよう。


ジョセフ・カレー 2月の国立歌劇場では「ラ・ボエーム」に今アンナ・ネトレプコと共に人気ナンバーワンのテノール、ロランド・ヴィラソンの出演が予定されていた。一方、カレーヤが出演する「愛の妙薬」は2年前ヴィラソンがネトレプコと組んでゴールデンコンビとして大評判になった作品だけに、ヴィラソンとカレーヤの2人それぞれの歌いっぷりが注目されていた。ところが何と、ヴィラソンが病気のためボエーム出演をキャンセルし、カレーヤがヴィラソンの代役としてボエームのロドルフォ役を歌うことになった。観客はヴィラソンの病欠に最初は不満そうだったが、舞台が進むにつれて代役のカレーヤの歌に聴き入った。結局カレーヤの歌は大好評を博し、うるさいことで有名なウィーンの各新聞がカレーヤに対して好意的な批評を載せることになった。代役が主役の座を奪い取ってしまったわけだ。


ジョセフ・カレーカレーヤ1978年マルタ共和国に生まれた。16才で発声を学び始め、19才の時にマルタでヴェルディ作曲「マクベス」のマクダフ役でデビュー。以来、プッチーニ作曲「ラ・ボエーム」のロドルフォ役、ロッシーニ作曲「セヴィリアの理髪師」のアルマヴィーヴァ役、ヴェルディ作曲「リゴレット」の公爵役、ヴェルディ作曲「椿姫」のアルフレート役などを各地でこなしてきた。1997年にはウィーンのベルベデーレ・コンクールに優勝、翌年ミラノのカルーソー・コンクールでも優勝した。ウィーンデビューは2003年のウィーン国立歌劇場、ベッリーニ作曲「夢遊病の女」のエルヴィーノ役だった。その後DECCAと専属契約を結び、ソロアルバムも録音した。まさしく今売り出し中の若手テノールではトップクラスに位置している。


ジョセフ・カレー カレーヤの公演を取材した時に感じたことはネトレプコを取材した時に感じたことと同じで、彼の人柄がとても気さくで親しみやすかった、ということだ。なにしろ自分のことを「純朴な男」と表現するくらいだ。テノールという「人種」にも色々の性格の人がいて「鼻持ちならないやつも少なくない」と言われる中、カレーヤが着実に支持を伸ばしているのは、歌う技術はもちろんのことだがそれ以前の人間性という要素が大きく影響していると思われる。やはりテレビでも舞台でも最後は人間性で勝負が決まる、というのが今回の結論である。


3. Apr. 2007 山本大輔  maildyamamoto@officeboe.co.jp

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